アーセナルサッカークラブ

アーセナル

アーセナルサッカークラブは1886年大砲を作る工場労働者でサッカークラブとして構成されたので、「ガナーズ(射撃手)」の愛称で多くの人から親しまれています。1891年にプロに転向し、1904年には1軍リーグに昇格しました。1925年には名監督のチャップマンが就任し、1934年の肺炎で亡くなる前までに多くの勝利をチームにもたらしました。

彼の業績の一つに、新しい練習の手法をチームに紹介したことがあります。それはフォワード3、ミッドフィルダー4、ディフェンス3という、配置です。「WM配置」とも呼ばれます。チャップマンは1930年にチームにFAカップという、初めて世に知られているトロフィーをもたらしました。それから続けて2度、リーグで優勝しました。

1930年代に5回リーグ優勝したのは、チームの歴史の中で最も長きにわたる成功とみられています。第2次世界大戦後にチームはフィールドに戻ってきましたが、50年代の終わりから60年代にかけてはなかなか勝てないチームにとって辛い時期が続きました。しかし1971年にリーグとFAカップのダブル優勝に輝き、再び世界一に返り咲きました。
80年代から90年代半ばにかけて、アーセナルのサッカーは単調だと世間で言われました。しかしスコット=グラハムが監督業を引き継ぐと、チームはまた息を吹き返しました。彼は89年と91年の2度クラブを優勝に導きました。特に89年はかなり歴史上劇的な勝利を飾りました。レッズに勝つためにそのシーズンの最後の試合でリバプールに2-0で勝たねばならなかった時に、敵の本拠地アンフィールドでロスタイムにゴールを決めリバプールを下したのでした。